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| - | 17:36 | comments(0) | - | pookmark |
誹謗・中傷

数か月前にネットフリックスで観た「ミス・アメリカーナ」、テイラースウィフトの素顔に迫ったドキュメンタリー。誹謗中傷に悩ませるテイラースウィフト。自分らしくいることが、さらに誹謗中傷を増大させて精神的にギリギリの毎日。それでも人の目を気にすることなく、自分を裏切ることなく勇気を持って自分らしく有ろうとする姿を赤裸々に描いていく。

そして昨日NHKの駅ピアノオランダ編で、駅に設置されたピアノに数十名の若い男女が囲み、テイラースウィフトのフィアレスを合唱するシーンをみた。理解している人々、支持する人々を目のあたりにして、改めてテイラースウィフト生き様に感動を覚える。誹謗中傷の恐れると、そのレベルに落ちてしまう。それでも誹謗中傷は容赦なく鋭角に突き刺ささる。

| - | 21:23 | comments(0) | - | pookmark |
香りの記憶

棚を整理したら、もともと利用量が少ないので歴代の香水がほぼ揃っていた。それぞれの香りからその年代の記憶がよみがえってくる。写真左から購入した順番に並べた、オールドスパイスとBRUTは二本目の購入。左から4個目のディオールを最後に30年位購入しなかったが、加齢臭世代になり購入の再開、マイブームがきた。

最初は大阪万博の時、兄の土産のオールドスパイス、アメリカ館で売られていたそうだ。BRUTは海外のスーパーで販売している安物だが、独特の香りは毎回新鮮だ。衝撃は左から6っ目のCREED、数年前に大阪大丸のエレベーターを降りたところでテストシートを手渡された。帰宅してシートを放置、翌日からいい香りがしてきて2〜3日香りが持続し虜になってしまう。東京の伊勢丹で購入、とっても高価だったがその分香りも強烈。旅行の度に必ず免税店で香水を試すのが好き、各メーカーの香りを評価し記憶するが、購入することはほぼ無い。

寝る前か散歩に行く時に使用、人と会う時は使用を避ける。香水は好きだが、常用してる男性は信頼できない気がする。矛盾している。

| - | 18:36 | comments(0) | - | pookmark |
家庭教師

家内と体重の話になった時「あなたはよく噛んで食べているね」と指摘があった。「噛んで食べる」で突然に思い出したのが、50年前の中学3年生の時教わった家庭教師のUさんだった。Uさんは受験する慶応高校出身の工学部院生、慶応高校の先生の紹介だった。勉強の間に毎回夕食を共にしたが、兎に角小刻みによく噛んで食べる。一口を50回位噛んだ後飲み込む。その為か顎が発達しており、体形はスマートだった。懐かしくてダメ元でインターネットで調べたら、変わった苗字もあり探し出せ、出身大学や年齢もドンピシャ、顔写真も当時の面影がある。現在72歳で、国立大学の名誉教授、ウィキペディアでも詳しく記載され数々の要職も歴任している。恐れ多くも、後の名誉教授に数学を習っていたのだ。

一冊だけ残していたノート。

 

Uさんの受験戦略は具体的で見事だった。薄いB5のノート、各ページには左側3センチに線を引く、直線は全て定規を使う等を指導された。計算式は条件設定から丁寧に書き出し、正解・不正解より途中経過を重視した。問題を解く為の、環境を大切にした。当時は英・数・国の3教科で4000名近い受験生が0〜300点の間にならび、特に合格ライン上の前後1〜2点が団子状態になる。そこで差がつくのが一問の配点が大きい数学。よっどぼ秀才でもない限りは、一問で合否が決まるといっても過言ではない。不正解でも丁寧に途中経過が書かれていると、20点配点なら10〜15点が付く、採点者は点数を付けたがっているという説明を受けた。B5ノートで問題を解く習慣付けは、後で苦手のところは問題集で何度でも復習できる。B5ノートは書く部分が少なく、あっという間に一冊を使いつくしてしまう。

 

ノートは一年間で20冊位になった。ノートが積重なると、他の人より努力している気分になり自信もついてくる。青のラッションペンを愛用、研究室から持参したコンピューターのストックホームの裏面に書き込んで説明してくれた。1970年は大学に1台しかコンピューターが無い時代であった。聡明でスマートなU先生だった。

 

息子に同じ中学3年の時に数学の家庭教師をつけたが、息子は終始その先生の暗さを徹底的に嫌っていた。比べて、恵まれた環境を作ってくれた亡くなった両親に、改めて感謝した。

| - | 16:05 | comments(0) | - | pookmark |
高島陽先生との25年間(2)

高島陽先生のファンクラブとも言える高陽会に入会が許可されたのは社会人になって3〜4年目位の頃。慶応大学の競走部に入ったら、高島陽先生の長男高島健一さんも同期でおり4年間陸上部生活を共にした。学生時代に高島家にお邪魔したりして陽先生とも面識があったが、私が稼業に入ったこと息子の親友であるということから陽先生から高陽会へのお声かけをいただいた。入会に当たっては、厳密な企業審査があると聞いていたが、陽先生の声かけでもあったのでこれはフリーパスで入会の運びとなった。入会するとまず驚いたことは、高陽会は50名位の社長の集まりだったが、会員企業の半分は誰でも知っている企業で、30名位の小規模企業の私が入る会ではないことは肌で感じた。

高島陽先生は経営アドバイサーになる前は、証券会社の営業部長で兜町でナンバー1の敏腕セールスだったと聞く。例会は毎月あり、高島陽先生は1ヵ月実際に足で歩いてタッチたり広いネットワークから得た誰もが聞くことができない貴重な情報を約2時間丁寧に説明してくれた。会社経営にも役立つし、株式投資にも参考になる話でもあった。高島先生が兜町の世トップセールスを維持できたのは、購入を進めた株が確実に値上がりしたからであり、このように企業経営者のファンが集まってきた。先を読む能力は、現地に実際足を運ひ自分自身が体感することで未来をイメージしていた。先生は幅広い仲間との朝食会を毎日の様に続けて大切にしていた、邱永漢さんと長谷川慶太郎との3人会もその一つ。

| - | 17:48 | comments(0) | - | pookmark |
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